「ボールを押すように打つと良い」という考えが広く浸透していますが、これは間違いというのが当サイトの見解です。現代の科学では、打球時の力学を完璧に知ることはできませんが、それでも「ボールを押す」というのは、科学的に考えておかしいと断言できます。
大雑把に言えば、インパクトは、「人間が壁を押すようにボールを押す」イメージではなく、「(人間の手を離れ)飛んでいるラケットが空中でボールと衝突する」イメージで、(ラケットの重さなどの条件が同じだとすると)衝突時のラケットの速さがショットの速さを決める最も大きな要因であって、インパクト時に意識的に筋力を使い、直接ボールを押そうとしても、ショットが速くなることはありません。
その理由の説明の前にまず、「押す」と「衝突」という言葉の意味の違いについて一度考えていきましょう。「押す」とは「物体に触れた状態で(筋力により直接)力を加える」、衝突とは「動いている物体が他の物体に接触して、ごく短い時間に(物体の持つ運動エネルギーにより)強い力を加える」といった意味になります。
この定義と、テニスにおける打球時のラケットとボールの接触時間を考えれば、「押せない」理由が分かります。ガットに弾性があるので、接触時間がかなり長いと思われがちなのですが、実際には約0.004秒しかない事が科学的に分かっています。またスイングスピードが上がっても、この接触時間は大きく変わらないという事も分かっています。
衝突は、このようなごく短い時間で起こるのが普通ですが、押すというのは数秒単位以上で行うのが普通で、時間が長いほど「しっかり」と押せるは、誰も簡単に想像できるはずです。「打球時の接触時間がすごく短い事」、これが「押すのではなく、衝突させる」のが正しいという主張の最も単純で分かりやすい根拠となります。
接触時間が短いことだけを理由に、「押しているのではなく、衝突です」と結論付けても良いのですが、これだけだと「0.004秒間なら押せるのでは?」という反論も当然出るかと思いますので、少々話が難しくなりますが、このあたりについてもっと深く解説していきたいと思います。
ラケットを衝突させる有効性
まず、なぜ、「ボールを押す」というのが有効ではないのに、ラケットをボールに衝突させるという事が有効なのかという事について考えていきます。
これも「時間」という観点が重要になってきます。先ほども書きましたが0.004秒という極端に短い時間では、ほとんどボールを(筋力で直接)押せません。
しかし、ラケットと自分はラリーの間ずっと接触しています。理論上は、相手からのボールがこちらに届くまで、好きなだけ時間をかけてラケットに力を加え、ラケットを加速させることが可能です。
実際のラリーだと、ストロークでラケットを加速させるのに使う時間は、毎回0.数秒といったところでしょうか(どこからをラケットの加速開始とするかが難しいため、具体的な数字は中々出しにくいですが)。仮にラケットの加速開始からインパクトまでに0.2秒かかったとすると、(接触時に筋力で直接)ボールを押す事に比べ、50倍使える時間があります。これだけ時間が長いので、ラケットの速さ(スイングスピード)は、比較的簡単に上げられます。
そして、「押す」のではなく「衝突」であれば、一瞬でラケットからボールに強い力を加え、ボールを加速させる事が可能です。またラケットスピードが速いほど、ラケット自体の持つ運動エネルギーが上がるので(運動エネルギー=1/2×質量×速度の2乗です。)、よりショットを速くすることが可能になります。
「押せない」理由1 強い筋力があっても活かせない
では、ここから「押せない」理由について述べていきます。
本当にボールを押す力が大きい事がショットの威力に大きく貢献するならば、フォアハンドも両手で打つべきはずですが(片手よりも両手の方が大きな力を発揮できます。)、実際にはそうなりません。
両手打ちフォアハンドは、片手打ちよりもショットのスピードがでません。
もっと言えば、重い荷物を押す時のように足の力を最大限に使ってボールを押せば更に威力がでるはず(足の方が腕よりもはるかに筋力があります。)ですが、そんな打ち方ではほとんどボールは飛びません。
これらの事から、「押す力の強さ」は、ショットのスピードにほとんど影響を与えないだろうという事が推測できます。なぜそうなのかと言うと、実際にはどれだけ筋力があっても、ボールを押すことに関しては、その筋力がほとんど役に立てないからです。
この世界には「作用反作用の法則」という物理学のルールがあります。これは、簡単に言えば「物を押した時には、必ず同時に同じ力で物から押し返されている」という事です。逆を言えば、「物が押し返せないなら、こちらも押せない」という事も意味します。
重い物があるから、強い力で押すという事が可能になるのであって、空中に浮いている約60gという軽いボール相手では、どれだけ強い筋力があっても活かす事はできません。まさに「のれんに腕押し」の状態になるだけです。
このような事からボールは(ほとんど)押せないと言う事ができます。
「押せない」理由2 筋力を分配する必要がある
仮にボールを押せるとしたら、どこの筋肉を使うのでしょうか。考えられるのは、上半身を回転させる筋肉、腕を前に動かす筋肉あたりですが、これらの筋肉は、スイングスピードを上げるのに使うものと同じです。スイングスピードを上げるのには役に立たないけれど、ボールを押すのには役に立つ筋肉が存在するとは考えにくいです。そして、普通に考えれば、同じ筋肉を「ボール押す」、「スイングスピードを上げる」のどちらにも100%使えるハズが無く、これらの2つの目的に筋力を分配して使わなければならない事になります。とすれば、ボールをより強く押そうとするにつれ、スイングスピードを遅くする必要があります。
スイングスピードを上げれば、ショットのスピードが上がる事は、科学的に間違いないですし、どなたでも同意して頂けると思います。ボールを押すために、わざわざスイングスピードを下げるのは、非合理的と言えます。
押せない理由3 人間の能力の限界
次は人間の能力の限界という面から、0.004秒ボールを押す事が可能かについて考えてみます。
人間は、何らかの刺激を受けてから行動による反応をするまでに時間がかかります。この間の時間を、反応時間と言います。
人間の反応時間は早くても約0.1秒以上と言われており、ボールが当たってから”押そう”としても、すでにボールがラケットから離れてしまっているので、これは不可能です。
では、ボールが当たる少し前から”押し始める”というのはどうでしょうか。押す対象に触れていなければ、当然押す事はできませんので、これも不可能です。これでは、””押している”つもりになっているだけで、実際にやっていることは、”押す”以外の何かです。普通に考えれば、その何かは、腕の力を使ってスイングスピードを上げる事で、これでは、押す事にはなりません。
ですので、もし仮にボールを”押す”ことが可能だとすれば、ボールがラケットと接触するタイミングを予測し、接触時間0.004秒の間に”押し”始められるように脳内で予め指令を出しておく必要があります。
しかし、人間の能力の限界を考えれば、これも現実的には不可能に近いでしょう。
例えばストップウォッチで画面を見て、タイミングを計り、5秒ピッタリに止めようとしてみてください。(5秒になってから止めようとするのではなく、予め脳が指令を出してから指が動くまでの時間差も考慮して、5秒で止めようとしてください)
5.000秒には、そうそうならず、どうしても誤差がでるはずです。頑張って練習しても誤差±0.01秒に程度に抑えるのがせいぜいで、0.004秒(±0.002秒)以内のズレに毎回おさめる事は出来ないはずです。
しかもストップウォッチの場合は、タイミングが毎回一定ですが、テニスでは、毎回相手のショットのスピード、回転量が違うので、その都度タイミングの予測が必要になってきます。その予測の誤差も加わります。また、風の影響なども考慮する必要もあります。
さらに言えば、接触してる時にならどのタイミングで”押し始めて”ても良いという事はあり得ないハズです。”押す”のに適切なタイミングは0.004秒よりも更に短い時間になるハズです。
いくら練習してもそんな短い瞬間ピッタリに”押し”始められるように予測し、脳内で予め指令を出すという事はできないでしょう。
以上より、人間の能力では、「ボールを押せない」と言えます。
「押す」イメージも必要ない
以上のような理由により、物理的に「ボールを押す」という事は、ほぼ不可能であると言えます。
ただ、実際には押してなくても、「押す」イメージを持つことで、スイングが良くなる可能性、「ボールを押すように」というのがアドバイスとして有効である可能性は、まだ否定できていませんので、そこについて考えていきましょう。
「(実際には不可能な)ボールを押せ」というアドバイスを受けた人は、何をしようとするでしょうか。力んだり、手首などの関節を固定しようと試みると考えられます。
力んだり、手首を固定してしまうとスイングスピードが下がり、ショットのスピードも下がるので、マイナスにしかならないでしょう。したがってイメージ、アドバイスとしても「押す」というのは有効ではありません。
今回の重要ポイント
○ボールを打つということは、ボール押すことではなく、ラケットをボールに衝突させること。
○物が押し返せないなら、こちらも押せないため、軽いボール相手では、ほとんど押すことはできない。
○ボールを押すこと、スイングスピードを速くすることに筋力を分配して使わなければならないハズで、ボールを押すためにスイングスピードを下げるというのは、非合理的。
○人間の能力では、0.004秒しかない接触時間の間にボールを押し始めることは不可能。
○力んだり、手首などを固定しようとしてしまうので、アドバイスとしても「ボールを押せ」というのは、有効ではない。